|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 機 : [き, はた] (n) loom ・ 機械 : [きかい] 【名詞】 1. machine 2. mechanism ・ 機械工 : [きかいこう] 【名詞】 1. machinist 2. mechanic ・ 機械工学 : [きかいこうがく] (n) mechanical engineering ・ 工 : [たくみ] 1. (n,adj-na) (1) workman 2. artisan 3. mechanic 4. carpenter 5. (2) craft 6. skill 7. (3) means 8. idea ・ 工学 : [こうがく] 【名詞】 1. engineering ・ 学 : [がく] 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge ・ 技 : [わざ] 【名詞】 1. art 2. technique ・ 技師 : [ぎし] 【名詞】 1. engineer 2. technician ・ 師 : [し] 【名詞】 1. (1) teacher 2. master 3. one's mentor 4. (2) the Reverend
ヘニング・ルドルフ・フェルディナント・レーマン(Henning Rudolph Ferdinand Lehmann、1842年10月15日 - 1914年2月4日)は、ドイツの造船技術者、機械工学技師。オルデンブルク大公国・オルデンブルク出身。兄に武器商人のカール・レーマン。 == 人物 == オルデンブルクで高等司法顧問官を務めたアレクサンダー・アドルフ・レーマンの四男として生まれる。カールスルーエ工科大学の土木工学科で川海工業と土木工学を専攻。ロッテルダム造船所に就職。 1869年(明治2年)、兄・カールの経営するレーマン・ハルトマン社の相談役として訪日。大阪、川口の居留地で蒸気船建造の指揮に当たった。 1870年(明治3年)11月8日、ルドルフは京都府が角倉邸に新設した学校である「角倉洋学所」にドイツ語教師ならびに建築技師として招かれた。当時の大参事・槇村正直が、京都府顧問を務めていた蘭学者・山本覚馬などの策を採用し、外国人教師を迎えて語学教育を行うことを決定したためである。角倉洋学所は翌年3月に移転し「欧学舎」となり独逸学校を開き、4月27日には英語学校、10月20日には仏語学校を開校した。1873年(明治6年)5月、独逸学校に医学予備科が設置され、医学志望者にドイツ語を教えることとなり、さらに6月、欧学舎は二条城の北に新築され「欧学舎独逸学校」に改称。ルドルフは1872年・1873年に和訳独逸語辞書をそれぞれ2冊ずつ出版し、1877年(明治10年)には『和独対訳字林』を校訂、日本で初めての和独辞典とされている。独逸学校は1879年(明治12年)5月に京都医学校(後の京都府立医科大学)に合併され廃止となった。 1882年(明治15年)、東京に移住。その後は東京外国語学校や東京大学予備門で教壇に立ち、退職後は日独貿易に従事。1914年(大正3年)東京にて71歳で死去。生前、日本人女性との間に6人の子どもを儲けた。 彼の門人数人が1884年(明治17年)に設立した京都私立独逸学校が私立京都薬学校、京都薬学専門学校を経て京都薬科大学の前身となった。 レーマンの墓地は雑司ヶ谷霊園にあり、2004年からは遺族の同意のもと京都薬科大学が管理している〔西野武志「『ルドルフ・レーマン』墓地改修」『』京都薬科大学KPU NEWS編集委員会、2005年4月。筆者は当時の京都薬科大学学長。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルドルフ・レーマン (機械工学技師)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|